岡 三嗣 MITSUGU OKA

地域に必要とされる会社で
働けることが、大きな喜びに。

フェリー・船長

天草の漁師町で生まれ育ち
迷うことなく船乗りの道へ。

私は島原半島と海峡を隔てて隣接する、熊本県天草市の出身です。実家が漁業を営んでいたことや、兄も船乗りを目指していたことから、私も中学卒業後は海員学校(現在の海上技術学校)に進学し、なんの迷いもなく船員になる道を選びました。新卒で島鉄フェリーに就職して以来、南島原の口之津港と天草の鬼池港とを結ぶ航路で働いています。
海員学校同級生は、貨物船やタンカーに乗る人が多いのですが、私は地元に残る選択をしました。結婚した今も生まれ育った天草に住み、天草の人たちにとって大切な、この航路を守っています。平日15便、休日17便、地域の人や観光客、業者さんなど、さまざまなお客様をお乗せして、この早崎瀬戸を往復しています。

甲板長、航海士などを経て33歳で最高責任者の船長に。

甲板長、航海士などを経て
33歳で最高責任者の船長に。

海員学校を卒業して入社しましたが、やはり新人時代は何も分からない状態でスタートします。とにかく1日中、先輩について回って、作業も見て覚えます。見よう見まねを繰り返して、少しずつできるようになっていくという感じですね。経験とともに甲板長、航海士、船長代理などの役職を経て、入社15年目の33歳で船長になりました。
入社以来がむしゃらにやってきたのは、目標としている先輩の影響が大きいと思います。その方は、自分の父親くらいの年齢なのでもう引退されましたが、作業でも操船でも、常に先を読んで仕事をする人でした。技術力も行動力も素晴らしく、いつか自分も先輩のようになりたい、少しでも近づきたい。そんな気持ちでやってきました。と言っても、船長となった今も自分はまだまだだなぁと感じる日々です。

自然の偉大さと同時に怖さも忘れてはいけない仕事。

自然の偉大さと同時に
怖さも忘れてはいけない仕事。

船の仕事は、自然が相手です。船長として10年以上操船し、同じ海を毎日何往復もしていますが、一度として自分の思うように着岸できたことはありません。穏やかに見える海でも、突然に予期せぬ大きな波が起こることもありますし、荒れている時や風の強い時は、いつも以上に集中力が必要になります。自然の偉大さと同時に、怖さも忘れてはいけない仕事ということだと思います。だからこそ、いつか尊敬する先輩のようになりたい、操船技術をもっと高めたいと、常に向上心をもって、業務に向き合えるような気がします。

生まれ育った天草や島原の人たちの役に立てる。

生まれ育った天草や
島原の人たちの役に立てる。

この仕事に就いて良かったと思うのは、やはり自分が生まれ育った天草や、島原の人たちのお役に立てることでしょうか。20年以上勤務していますので、やめたいと思ったこともあります。転職するという選択もあったのかもしれませんが、結婚して家族ができると、この地域を離れたくないという思いが強くなり、今は地域に必要とされる会社に勤められることが、大きな喜びになりました。
この辺りの海は、イルカウォッチングも有名で、私たちも毎日のようにイルカを見かけます。今ではすっかり見慣れてしまいましたが、それでも、赤ちゃんイルカが生まれて元気にジャンプする姿を見ると、やっぱり嬉しくなりますね。そんな自然の変化を海上で感じながら、お客様を運んでいます。

WE
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SHIMABARA

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